想像と期待と現実と
定番で使っている和紙たちがだいぶ心許なくなってきて、
順次注文をしている。
どんなに和紙を愛していても、
過不足なく注文する作業は結構面倒で、
いつも限界まで先延ばしにしてしまうけど、
一旦注文してしまうとわくわくでいっぱいになる。
いつもと同じ子達に混ぜて、
一種類でも初めての和紙を注文できたときには特に。
既に脳内では、
実際に見たこともない「あの和紙」で、
ほれぼれするような「こんなもの」や「そんなもの」ができあがっている(それはもう作ったこともないような圧倒的に素晴らしい物が!笑)。
現実を知るときまで、そのシュミレーションは繰り返されるけど、
実際は思っていたものとは全然違う使い方をしている事の方が多い。
それはその和紙を実際に見て触ると、想像していたものとはちょっと違ったから。ということもあったりするけれど、
多くの場合、見て触れた瞬間にシュミレーションしてきた子達はあっけなく消滅するから。
想像力って何だろう。
と思う。
実際に見たり触れたりする現実には叶わない。
でも、
想像できなかったなら出会わなかったかもしれないし、
出逢えたから出逢わなかった時のことを、又想像できるということもある。
想像するから期待もできる。のかも。
(期待し続けることができるのはたいした能力だと思っている。)
毎朝5分読書で読んでいる「この世この生」の中で、
良寛の漢詩が出てくる。
私の教養レベルでは、漢詩なんて書き下し文があっても意味を取れないことの方が多いけれど、
なんとなく。。。
字面のその向こうを強烈に知りたいと思わせるのはちょっと感動。
知りたいと思うなら、まずできることやろうと漢和辞典を買った私はずいぶん即物的だけど、
シゴトでも使えるしね。ともっとらしい言い訳もしつつ。
この辞典結構おもしろいです。^^
全訳 漢辞海 第四版
辞典とか辞書作る人ってすごいわ。と思う。
会ったら絶対好きになる。
機嫌良くいきましょ
藤井あき乃