邪が潜んでしまうところ

邪が潜んでしまうところ

紙幣を折らずに入れることができる封筒に移りたいと思いつつ、
ぽち袋作りで足踏みしている。
定番サイズのぽち袋を作ったのは久しぶりだから、
単純に楽しい!ということもあるけれどなかなか次に進めない。

同時に「紅白ねじり水引」もかなり作ったけれど、
こちらは作れば作るほど、下手くそになっている。

最初のひとつが、滅法よい出来でそこに自分で感動してしまうと、
しばらく抜け出せなくなるのはままあることだが、
その後の出来具合は、
どんどん下ってゆくというのもよくあること。

最初よりも絶対丁寧にねじっているはずなのに何故だろう。

赤と白が均等に表に出るようにとか、
盛り上がり(ねじりのきつさで変わる)も同じ高さになるようにとか、
仕上がりの美しさに執着し出すのがその原因なのかもしれない。

けれど執着やこだわりが全くないと上達もしないだろうに。
無心になる?
そんな境地は執着する事よりも百万倍難しいし、
かといって気楽にやればちゃんと雑な仕上がりになる。

邪な心か?もしかして?

「きれいに見せるコト」が微妙に優先されるようになると、
どこかちぐはぐで「うまくいってない」感が拭えなくなってくるのかも。

仕上がり具合が下るように感じる時は、
自分が執心しているのものを今一度考えてみるべきかも。

かもかもの連続だけど、
今朝の読書「民藝とは何か」柳宗悦を読んでいてふと思った次第。

 

 

民藝とは何か (講談社学術文庫)
柳宗悦
講談社
2014-12-19

 

 

 

 

 

見通しよくいきましょ

藤井あき乃