三千代について

すでに初夏の陽気。
今日は終日エアコンを入れていますが、
部屋の中は数日前まで使ったストーブや膝掛けがあったりして、
暑苦しい。
もう使うことはないだろうから、
手入れをして仕舞わないと。
その時に、気になっている箇所の整理整頓をと思っていたのに、
暑くなると途端に気合いが抜けてゆく。
ささやかな褒美を小出しに与えつつ自分をがんばらせる。
いい年して何やってんだかと思うけど、
きっかけが何であっても、
やろうと決めたことをちゃんとやり遂げる事ができるならそれでいい。
岡潔氏の「春風夏雨」の中で述べられていた
「それから」の三千代を知りたくて、
久しぶりに手に取った漱石の小説は、
「こころ」「それから」、
そして「行人」に辿り着いた。
数十年ぶりに読む漱石は、信じられないくらい新鮮で、
自分が変わることで、同じ文章やものがたりの印象が変わることを実感する。
そして、
岡潔氏が弟橘媛命と並べて『それから』の三千代が好きだ。
と言ったことも納得した。
だいたい私は、恋愛の大義名分は自己犠牲であって、自己主張ではないと思っている。
だから、歴史上では弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)、小説中では『それから』の三千代が好きなのである。
「春風夏雨」岡潔著
三千代は自己犠牲。。。というよりも(確かにそういう側面もあるが)、
登場人物の中で唯一純粋な人だ。
純粋だから覚悟がある。
それに比べて三千代を巡るふたりの男性は、
相手よりも自分を優先するのに、
それでいて自分がほんとうに欲しいものに気づかない。
あるいは見誤る。
愛がないわけじゃない。
ようするにふたりの男性はよくいるふつうの人(男も女も含めての人)なのだ。
三千代が特別。
生きてゆく上で「純粋」をまっとうに貫くのはとても難しい。
覚悟なんて口で言うのは簡単だけど、
実際に覚悟のある人がどれほどいるだろう。
三千代だって大きな折り合いをつけながら、がんばって生きている。
高校生の私はヘタレな男性二人に単純に憤ったのだ。多分。
最後まで読まなかったのはそこだろう。
ある意味純粋だった私。
そして今の私は、あの二人に哀しく共感する。
気の毒に。と。
もう一度やり直したかったね。と。
人生は、
やり直せることもたくさんあるけど、
やり直せないこともある。
けれど。。。
過たずに生きてゆくのは難しくても、
間違うたびに清らかな方(本質)へ近づいてゆけるなら幸いだろう。
そうであれるといいなと思う。
今週はどんな一週間でしたか?
今日もここにきて下さってほんとうに。。。ありがとうございます。
どうぞそれぞれに。。。
しあわせな週末でありますように。
藤井あき乃