きもちを表すアイコン
熨斗をつける。
ということの意義というか理由を、
知っているようで、腑に落ちているわけではなかったりする。
ここですぐに簡潔に説明できないということは、
知ってすらいないのかもしれません。
なんとなく。。。
「熨斗」をつけるべきあるいはつけてもよい品と、
そこまでしなくてよい品。という区別をしてきたような気もする。
しかもそれが、自分の手製の品であったりすると
少々大げさに思うというか、熨斗をつけるほどのものでもないしな。なんだか恥ずかしい
というような感じがあったわけです。
けれどここのところ繰り返し読んでいる本(なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?齋藤和胡著)の中で、
熨斗をつけるということは、
「相手に対しての礼を大切にしようとする日本人の気持ちの表し方」
であり、
「贈る側の気持ちを表すアイコン」
であり、
「礼をもって相対する事を大切に思う日本人のアイデンティティーの表れ」
である。
だからこそ、
時代を追って贈答作法が変化していっても、
たとえホンモノの熨斗鮑が黄色いビニールのようなものに変わったとしても
贈り物には「熨斗」をつけるということが作法として残っているのだ。
と書かれています。(一部抜粋要約)
だとしたら。。。
ほんとうにささやかな己の手製の品であっても、
最大限の感謝のきもちを込めて支度したものであるなら、
熨斗をつけるべき(というか。。。熨斗をつけてもよいのでは?笑)。
と思うようになったわけです。
本の中では小熨斗の作り方も丁寧に解説されていますが、
わたくしは印を持っていますので、^^
それを使っています。
なんとなくそういうものでしょ。こうするものよね?
で続けている事って、
本などで改めて読んでも
「あー。そうそう。知ってる知ってる」から、ほんとうに「そうか!」と思うまでには、結構な距離があったりする。
年を重ねるほどその距離は長くなっているような気もしますが、
ちょととわかったような気がしないでもないあたりで「よし」と思わないようにしたいものです。
機嫌良くいきましょ
藤井あき乃