心構え

だれでも作ることができる金封。
折り:3回
糊付け:3箇所。
内包みは、無地の半紙で事は足りるが、
一応、私ははんやなので自分の子を登場させる(「心」遊印※)。
瓢の版画は京からかみさんの版木。
版画といってもスタンプパッドを使って簡易に行ったもの。
表の包みも、
なにもないと、潔すぎて不安になるためちょっと飾る。
しかしこれが「ちょっと」か?
いつも「ほんのちょっと」にしようと思いながら、
「結構な」ボリュームになっている気もするが、
なかなかそこから抜け出ることができない。
今朝読んだ柳宗悦氏の「美の法門」の中の一節。
臨済は「但造作すること莫れ」と教えた。美も醜も共に醜に染まる、造作に止まる限りは。だが思い過ごしてはならない。無造作に執するなら、新たな造作である。楽茶碗の如き、好個の例といえよう。強いて美しく作ってあるが故に醜さがどうしても残る。造作に滞れば醜さが現われないわけがない。 「美の法門」より
わかるようなわからないような。
自分のいるところと、次元が違いすぎて理解が及ばないが、
きびしさだけはひしひしと伝わってくる。
どういう心構えで向き合っているのか?ってことなんだろうか。
折々の心構えの積み重ねは、
きっとその人の人生に対する態度に重なるから、
それが作ったものを通して現われるというのはなんとなくわかる。
手ずからものを作るっていうことは、そういうことだって事も。
結論は出ませんが。
一度使ったら捨てられる運命にある封筒であっても、
何かを生みだすって結構重いなと思った朝。
見通しよくいきましょ
藤井あき乃